2014年9月22日月曜日

インド・ハイデラバード&バンガロール旅日記・世界女性会議2014

8月16日(土)

成田発11:30amエアインディア307便で出発。 機内食はインドカレーとタンドリーチキン辛い! 日本時間の3:00pm空が暗くなってきた。 6:00pm空が明るくなってきた。 何だか変な感じだ。 下界を見ると古くて小さい四角の煉瓦の家と庭付きの宮殿の様な家が入り混じっている。 時差3時間半遅れのインド時間5:00pmデリー到着。 入国管理のチェックが厳しい。 トランジットなのにスーツをケースを受け取り再度チェックイン。 空港はどこの国も似ている。 一人でインドに来ている感じがしない。 トイレにはおばさんがいて頼みもしないのに水を出したり、テッシュを先取りして渡す。 チップを要求する。 どこのトイレにもいるので困った。 インドのお金は日本では両替できない。 インドの空港やホテルでしか換金できないので到着したばかりの私はインドのお金ルピーを持っていない。
20:10発国内線ハイデラバード行きに乗り換える。 11時間半の長旅を終え、23:20ノボテルホテルのシャトルバスを探す。 日本からダブルベッドの部屋13,000円を予約していた。 インドのホテルは2千円からある。 5スターホテルは広くてきれい。

ハイデラバード

8月17日(日)
深夜1時半電話が鳴り「レベッカさんが米澤さんを訪ねて来ています。」 寝入りばなに起こされて何が何だか分からないまま、レベッカが部屋に入って来た。 朝、5時ごろ到着の予定だったがフライトを変更した。 レベッカさんはカメルーン出身でアメリカ国籍、現在韓国の大学で経済学を教えている立派な教授だ。 9:30amに朝食、インド料理が豊富にある、スイカやパパイヤなどの果物も充実している。 昼食を兼ねて沢山食べた。
ホテルからハイデラバード大学までタクシーで1時間半かかり、料金は2400ルピー。 インド人から安く行ける方法を伝授された。 
無料シャトルバスで空港~市営バスでボタニカルガーデンまで200ルピー~オート三輪車でTaRa Residency大学寮まで50ルピー。 250ルピーは10分の1。  インドの乗り物は交渉次第で値段が決まるので乗る前に値段を決めるのが良い。

ハイデラバードはもっと都会かと思ったけど岩むき出しの場所があり、道の中央だけが舗装され路肩は砂地なので埃っぽい。 物乞いする女性達が寄ってくる。 お金持ちと貧しい人が入れ混じって暮らしている。 イスラム教徒が多く住んでいる町なので黒ずくめの衣装を身にまとい目だけ出している。 

Tara大学寮はダブルベッドをレベッカと共有する。 水回りが悪く、トイレは紙を流さず、バケツに入れる。 シャワーはぬるま湯しか出ない。


大学の送迎バスに乗り登録と開会式に出席する。 世界の民族衣装が集まり華やかで美しい。 大学校門には「University of Hyderabad Welcomes the Delegates of Women's Worlds Congress 2014」と書いてある。 会場まで赤じゅうたんが敷いてある。 受付でID Noタグとスピーチをまとめた本、ノート、ペン、置時計、水がカバンの中に入っている。 ホールの入り口では大きなランゴリー(歓迎の花模様)を作っていた。










海外の仲間たちとはカナダ世界女性会議から3年ぶりに再会する。 今回はアメリカ人2人、カメルーン人、イギリス人、メキシコ人、韓国人と私の7人がプレゼンテーションする。 お互いに再会を喜び合ってハグした。




開会式

インドの儀式;代表数人が神様に供えるローソクに火をつける。 インドの国歌を歌う。

実行委員長 Prof. Rekha Pande の挨拶;
第12回世界女性会議をハイデラバード大学で行なえる事を誇りに思います。 インドでは最近モディ氏が首相になり、新政権がスタートしました。 今後、インドは安定し伸びて行くでしょう。 57か国、900人が参加しています。 紛争の為、参加をキャンセルした人もいました。 
(57か国中34か国が読まれましたが残念ながら日本は入っていません。 その他の国の中でした。 中国、韓国は読まれました。日本は世界女性会議では影の薄い存在の様です。) 
最高齢者は75歳。
 
ハイデラバードはインドで5番目に大きな州です。 伝統的な古い習慣と現代的な文化が入れ混じっています。 悪い点は未だに女性の人身売買や持参金額によるいじめやDVがあります。
良い点はIT企業が多く、女性がコンピューター技術で活躍しています。 "Gender in a changing world" 女性達よ、大いに語り意見交換してより良い世界にしていきましょう。

スペシャルゲスト・Key Speaker: Dr. Tessy Thomas;
女性で初めてインドのミサイル技術開発局に配属された。 今までは考えられなかった事。 ましてや世界女性会議に出るのは考えられない出来事だそうです。 インド人は驚いている。 インドは変われると実感したそうです。

題:エンパワーメントに向かって
過去) インドの女性は尊重された。 バラモン教のヴェーダ、ヒンズー教のウパニシャッドやデーヴィ、パルヴァティはみんな女神。 インドの川の名前も女性から成る。 中世期に入り、ヴェールの導入からダウリ―(持参金)やサティ(妻の殉死)の習俗が始まった。
現在) 結束力に欠けている社会や性差別。 教育の権利を否定し、知的な成長を否定。 科学技術の進歩がある。 女性の堕胎問題がある。
変化に向かっての第一歩) 男の子を教育する意味は一人の子供・個人を教育する事。 女の子を教育すれば全国民を教育したことになる。 教育はジェンダーの平等推進のカギとなる。
リーダーシップ能力) 何を目標にしているか? 適正な計画と意思決定。 リスクを払えるか? きわどい場面を仕切る。 前向きな態度で引っ張っていく。 前向きな性格。 的確な判断。 直感を信じて。
「女性のエンパワーメントは人類の進歩に必要です。」

スピーチが終わると、会場からStanding ovation拍手喝采。 警察官らしき人が3~4人入って来た。 何か事件?? インドの大切な人を守る為にガードマンが迎えに来た。

司会者: ハイデラバードは真珠が有名です。 是非、世界女性会議の記念に買って下さい。

宴会
国が認定するインド伝統舞踊の先生とお弟子さんたちの踊り。
クリシュナ(ヒンドゥ-教の神様)の物語。 国の鳥・ビーコック(孔雀)の踊り。

8時に終わり、夕食会。 たっぷりのインド料理。

アメリカから年長者のアン一家がまだ来ていないのでロビーで待つ。 2011年のカナダ世界女性会議の直前に交通事故に合い入院していた。 痩せて杖を突いていた。 夫のブレッドはリチャード ギア似のハンサムな中高年男性。 「貴女がよねちゃんね」とハグされた。 娘のスザンヌと孫娘のアニィシャと友人のハナの5人でやってきた。 12時過ぎまでお喋りして再会を喜んだ。 激動の一日が終わり、床に就いた。 

8月18日(月)
外の気温は38度で蒸し暑い、会議室はクーラーが効きすぎて寒い。 体調を崩す人出てきた。 大学のトイレは5つあり3つはインド式、2つは洋式だが便座が壊れていて使えるのは一つ。 並んで使うので水が出なくなる。 使用後にバケツの水を流す。 テッシュは無く、使用後は持ち帰り。 国立大学なのに?? これには皆困った。 私はプレゼンテーションする日なのであしたの会の小冊子を50冊両肩に抱えて移動する。 肩が痛い。

昼食は暑いテントでインド料理のお弁当が配られた。 インド主催なのにベジタリアンとノンべジの弁当が分けてない。 皆同じお弁当。 美味しくはないが完食。

16:00 私達のグループUniversal Peace Sistersの発表;
アンの挨拶;6か国の違った文化背景を持つメンバーが経験を通して女性のエンパワーメントについて発表します。 私達は2000年N.Y世界女性会議で知り合い、仲間を増やしてきました。

2、米澤悦子 For a Better Tomorrow 「あしたの会・かわさきはどの様にしてマハラシュトラ州プネー市の貧しいインド女性を支援してきたか?」 私はピンクのパンジャビスーツで会場のお客さんに小冊子に折鶴を載せて配った。 私のパワーポイントはプロジェクターで大画面に映された。 ナマステの挨拶から始めて10分で終えた。 ちょっと緊張したが快感‼  満足!
― ゆっくりの英語と若い頃の活動写真が理解しやすく、優れていると評価された。ー 









夕食は町のレストランで。 テーブルに集まったのはケニアの教会のシスターで大学教授、カナダのソーシャルワーカー70代の人、カメルーン人、コロンビア人、インド人、ウガンダ人、カナダ人と私の8名。 なんとユニバーサル。 女性はどこの国の人も良く喋る。 食事中もお喋りが止まらない。 一人ずつの個性が見えてくるのが面白い。

フルーツを買うために夜の街を8人で歩く。 フルーツを買いに来ていた若い男性が「私達と写真を撮りたい」と言う。 レベッカが「モデル代いくら払う?」と言うとみんな乗って来た。 「いろんな人種がいて面白い?」「女ばかりなのに耐えられる?」「真ん中で写ったら?」「シスター、神のお恵みを与えて・・・アーメン」など面白がっている。 私が男性の前で十字架のクロスをきりアーメンと言ったら皆大笑いした。 笑ってばかりの夜の散歩でした。


部屋のシャワーが水しか出ないので職員が湯沸しの器械を持って来た。 バケツに入れると15分でお湯になる。 それをシャワー室に持って行き柄杓で体を洗う。 バケツ一杯のお湯は暖かくて有難かった。 ぐっすり眠れた。

8月19日(火)
大学の送迎バスはクーラー無しで蒸し暑い。 大学の門では違う国の人達と写真を撮って楽しんだ。 こんな場所だから誰とでも友達になれる。
今回「コアラ」ではなく「NGOあしたの会かわさき」の活動を知ってもらう為にプレゼンテーションしたのでインドのNGOと多く接触した。 「日本の皆様、インドの女性達を支援してくれて有難う。」と言われた。

Tea Breakはジンジャーティとサムサ(野菜カレーが包んで揚げてある)軽食。

プログラムは名前が抜けていたり、順番が違ったりして予定通りに進んでいない。 インドの暑さ、食事が合わず体調を壊す人が出てきている。 クーラーが効いている部屋ではぐっすり眠っている人もいる。

地元の新聞社からインタビューされた。 女性がマイクを向け、男性が撮影をしていた。「あしたの会かわさき」の説明や13年間プネー市の貧困女性達を支援しエンパワー出来た事を話した。 ソーシャルネットワークで私達の活動が見られるかどうか? NO! 私を40歳代後半だと思ったらしい。 残念ながら違います。
私の次はイスラエル人へのインタビュー。 パレスチナ人の友達はいます。 テレビでは紛争が過激化している事を報道していますが平民は仲良く普通に暮らしています。 政府同士が大喧嘩して紛争になっても平民同士は相手を敵だとは思っていません。 一か所に数種の宗教があることがまずいのです。 ユダヤ人でもキリスト教徒がいます。 爆撃が始まると私は子供3人を抱えて自宅のシェルターに逃げ込みます。 外出もままならない。 生の声が聞けて良かった。 やはり世界女性会議だ!

スペシャル講演会・インド人女性3人の立派な生き方
* インド初女性警察官 70名中一人だけ採用された。
* インド初女性企業家 祖先は農民だった。
* インド初国が認めた伝統舞踊家 親同士が家のランクや手相などで結婚相手を決める。

8月20日(水)
7時起床。 疲れてぐっすり、夢も見ない。 朝はいつも慌ただしい。 8:15amのバスの乗るので急いでいる。 インド生活4日目になると風邪を引いた人、下痢をした人で会議の参加者が日増しに少なくなってきた。 バスに乗る人も少なく、ドライバーは遅れてくる人を待っている。 「Etsuko Strong!?」と言われたけど私も体調万全ではなかった。

インドについて学んだ事;
* 人口12億
* 人口の74%が貧困層。田舎に住み、農業や家畜に従事。村単位の小さなグループ。教育は低い。Kuchchaハウスと言いコテッジや草の屋根。道路は狭く土。女性はサリー着用。テクノロジーはない。
* 人口の26%が富裕層。市や郊外に住み、政府、会社で働く。密集して住む。教育は高い。Puccaハウスと言いビルやマンション。道路はセメントの舗装道路。女性はサリーを着ない。テクノロジーあり。
組織体系:Gram Panchyat(グラムパンチャ) エリア:村 代表:Surpanch(サアパンチ)
組織体系:Municipal Council(地方議会) エリア:町 代表:Chief Officer(町長)
組織体系:Municipal Corporation(市庁) エリア:市 代表:Municipal Commissioner(地方行政官)

交通手段が無く、二人乗りのオート三輪車に7人乗り、買い物に行く。 3人の膝の上に2人座り、一人はドアにぶら下がる。 私は下でドアの友達も私が支える。 もう一人は無理やりに運転席に座った。 すれ違う人が驚きの目で見る。 ニヤニヤして見る。 オートバイで付いてくる。 私達も大笑いしながらインドでしか出来ない体験を楽しんだ。 町まで20分ぐらいかな~と思ったのに25kmを1時間半かけて、でこぼこ道を走った。 飛び上がるたびにお尻や腰が痛い。 皆の体温で私の下半身は汗でビショビショ。 到着してもすぐに歩けない程、手足がしびれていた。 帰りは3台に分かれた。 ほっ!

一昨日の夕食の時間が楽しかったのであのメンバーが待っていた。 皆お喋りしたくて仕方がない。 ケニアのシスターは真面目すぎてからかわれ易い。 「Social Justice」社会的正義の話しで盛り上がった。 ワークショップで面白かった事を大げさにジェスチャーして話す。 何かにつけて「それってソーシャル・ジャスティスじゃない?」と大笑いする。 私はあと一笑いのツボが分からず、でも笑った。 食べて、話して、笑って、飲んで(お茶)それでも500円以下。 やはりインドは安い。 満足して帰宅。 

部屋でワインパーティの二次会。
インドのカースト制度は生まれながらに職業が決められている。 親の職業を疑いも無く継ぐ。 世襲的階級。 ハイアラーキーは経済的なもの。 階層制。 裕福な家は殆どがメイドを雇っている。
 
インド人プリティさんはアラブ首長国・ドバイ生まれ、学校はドバイでアラビア語を学び、家庭ではヒンズー語を話す。 両親はインド人なので大学はインドの大学で学んだ。 インド人と結婚し、娘が二人いてドバイで暮らしている。 お酒の精かお互いに家庭のトラブルを話し出した。 皆何かのマイナス面を抱えている。 嫁姑問題は世界中にあるのだな~。 とうとう深夜3:40。 疲れ切って終わりにした。

8月21日(木)

 


 7:30起床。体が重い。 7人でフィルムシティ「RAMOJI」へ観光に行く。 何もなかった荒野にアトラクション施設や世界の庭が出来た。 園内は広くてバスで移動する。 彫刻作品、フィギュア、西部劇での撃ち合い、世界を旅しようなどアメリカ文化の影響が多く見られた。 日本庭園では鳥居だけが日本の象徴でカラフルなお寺などは中国、韓国が混じっている。 外国から見ると3か国の違いが分からない様だ。 イランから来た若い女性の黒のドレスに可愛い刺繍やパッチワークでお洒落していた。

8月22日(金)
世界女性会議を主催したRekha Pande教授に会いにハイデラバード大学へ行く。 


アンが事前にアンとレベッカの共作「新世紀の女性達・グローバル革命」の本を贈呈したい事や「ユニバーサル・ピース・シスターズ」の素晴らしさを伝えていた。 私も紹介され握手をした。 「インドとパキスタンの戦争の時、多くの女性がレイプされ、売春させられた歴史があるが時が過ぎ、和解している」と。 日本と中国・韓国の慰安婦問題を暗示されたのかな~と思った。
私達のグループは国が違えども3年おきに集まり、新しいメンバーを増やしている。 私は2000年N・Y世界女性会議から参加しているので古株だ。 Pande教授が「私もユニバーサル・ピース・シスターズの仲間に入れて!」と言われたので皆驚いた。

南米コロンビアの大学院生カロリーナさんは慰安婦問題を研究している。 私は朝日新聞で得た知識を話した。 世界共通の認識は違っていた。 「日本は確実に強制連行し慰安婦にしたので全員に謝罪し、慰謝料を払うべきだ。」

仲間にインド人がいるので地元の生活体験が出来るのが面白い。 料金の安い乗り合いバスにも乗った。 初体験。

3年前のカナダ・オタワ世界女性会議までは各自が重いパソコンを抱えて参加した。 今回は殆どの人がi Padだった。 小さくて持ち運びも簡単で時代の流れを感じる。

~かなり省略して書いているのに、長くなったのでバンガロール旅日記は次回に回します。~